中国万華鏡>>あっちこっちそっちどっち?>>きらりきらきら>>「見えない差異」賈樟柯の映画作り
(2002年3月13日 西日本新聞掲載)
賈樟柯(ジア・ジャンクー)、
中国山西省汾陽(フェンヤン)生まれの弱冠31歳。
彼の第2作目『プラットホーム』は、
2000年ベネチア国際映画祭で最優秀アジア映画賞、
同年ナント三大陸映画祭でグランプリ及び最優秀監督賞を受賞し、
ヨーロッパを中心に「中国映画界の期待の星」と高く評価される。
『一瞬の夢』、『プラットホーム』に続く3作目撮影終了間近の監督に、
一貫して生身の庶民の生活を描く賈樟柯映画について話を聞いた。
>>現在撮影中の新作はどんな内容なのでしょう? 賈 : 時代背景は現代ですが、グローバライゼーションの結果、改革開放はそれほど新鮮なものでなくなり、社会が激しい変化を経た後の時代を生きる若者の姿を描きます。山西省大同市で暮らす主人公の若者2人は、両親が失業し、街には暴力が満ち、商業主義が蔓延する、とても鬱屈した環境の中で生活するうちに、最後には自分たちも強盗という暴力的な方法を取ることで自分の生活を変えようとします。実際に中国では今、爆発的な事件が多く起こっています。ぼくが考えるに、それは社会の不公正、貧富の差の開き、そして絶望が一緒になった結果でしょう。この映画は暴力的で、そして絶望的なものになります。 >>『一瞬の夢』は撮影当時と同じ90年代後半、そして『プラットホーム』はあなたの高校時代の体験をもとにした80年代全体を、そして新作は21世紀の中国を描くわけですね。 賈 : これからしばらく現代を追うつもりです。『一瞬の夢』は激変の時代で、いろんな刺激を感じることが出来ました。今は変化が緩慢になり、社会全体が新しい段階に入って、人々の意気消沈した様子が見えず、彼らの息遣いも聞こえて来なくなりました。民衆のほとんどが内向的になってしまい、表面的にはとても静かで礼儀正しいのですが、その裏には非常に暴力的なものが隠されているのです。 >>これからなにが起こるのでしょうか? 賈 : まず人々の中に権利意識、自由に対する意識、独立意識が目覚めるでしょう。89年の天安門事件以降、政府と民衆は双方がお互いを侵犯しないまま平行線で過ごしてきました。民衆は自分を守るため権利を主張せず沈黙を保ってきたのです。それから10数年がたち、もっと若い世代が育ってきました。今の18、9の子供たちには89年の事件の記憶はありません。彼らの中に権利に対する要求が育ってくると、それを口にするようになる。中国にはまだ、若者が発言し、それを重視する習慣も場所もありません。でもインターネット上の掲示板を見れば、どれだけ彼らが自分の意見を言いたがっているのかがわかるでしょう……ぼくの世代は傑出したエリートや英雄に導かれた時代でした。そして起こった失敗もそんなエリートに導かれた暴動、運動でした。今は50万人が世界を知り、そしてその50万人が自分の意見を語る、そういう時代です。 >>新作ではそんな表現する人々を描いているわけですか? 賈 : 以前の中国には都市と地方の差違が存在していました。そして今ではそれがもっともっと広がった。ぼくはこの点に関心を持ち、社会の最底辺にいる若者に注目しています。というのも、彼らが暮らす環境がぼくが子供の頃に過ごしたそれとそっくりなんです。違うところといえば、ぼくの時代は社会の貧富の差はそれほど大きくなかった。だからぼくの生活は静かで幸せだった。でも今の子供たちは強烈な不公平感を持っている。昔はお金がある人はカラーテレビを買い、貧しい人は白黒テレビを見ていた。差があるといってもたかがその程度の差でした。それが今ではお金のある親は子供の18歳の誕生日に車を買ってやる。そうやって自分をひけらかすようになりました。しかしその一方で自転車すら持てない子がいる…ぼくの故郷である汾陽の平均収入がいくらだか想像がつきますか? たった120元(約2000円)です。これって、北京で暮らしていると1回か2回外食しただけで飛んでいく金額です。これが都会と地方の差なんです。 >>そこで起こっていることはつまり、中国全土で起こっていることなんですね。 賈 : 中国全体から見れば、北京や上海のような大都会はほんの一部です。お金を使って不正常な方法でその姿を整えているだけにすぎない場所なのです。そして自然な真実がある場所、それが小都市です…彼らの収入がどれくらいなのか、人間関係はどんなふうなのか、彼らが心の中でなにを考えているのか、彼らに勇気はあるのか、どんな要求を持っているのか、どんな希望を持っているのか、そして彼らに欠けているもの、彼らの弱点…ぼくにはそれがよく分かるんです。 >>あなたはとても理性的ですね、感傷に流されない、というか。 賈 : ぼくたちの世代にとって最大の問題は、理性と生まれつき持ち合わせたものの間に大きな矛盾を感じていることです。中国特有の「分裂性」です。ぼくが受けたのは文化大革命時代の教育でしたが、15、6歳の頃、中国は反芻思考の時代に入りました。たとえば、ぼくたちの受けた教育に「闘争哲学」という言葉があります。すべての人が闘う関係にあり、「相手を引きずり下ろす」という考え方で、そこには決して平和的な共存はありません。そしてぼくにもふと、そういう気分がもたげてくるときがある。でも理性と成長してから受けた教育がそういった心理的な障害を乗り越える手助けをしてくれます。誰もが自分の意見を言う、そんな民主意識、平等意識、自由意識といったものがぼくたちの教育には欠けています。それらはすべて後天的に身につけたものなんです。でもその過程においては絶え間ない自分との戦いという苦痛が伴います。自分にそれを指摘し、自分の内心にある汚れたものを克服して、といったふうに。ところが、今の18、9の若者たちは平等で自然な、尊重しあう形で共存しあっています。ぼくらとは本当に違いますね。受けた教育が違うし、時代も違う。文化バックグラウンドも違う。 >>『プラットホーム』の中でトラックが荒涼な土地を走ってきて、ゆっくりと旋回してもとの道を戻って行くシーンがありますね。なにかを暗示しているのでしょうか? 賈 : あのシーンは画面だけではなく、音声も含めて味わって下さい。トラックが旋回するときに突然、ラジオ放送が聞こえてくるはずです……80年代を描くには八九年を、89年に起こったことを避けるわけにはいきません。ずっと前に向かって走っていたはずなのに、突然それが止まってしまい、そしてもと来た道を戻って行く…ぼくは、あまり隠喩的な手法は好きではありません。でもこういう方法をとるしかなかったのです。今の中国の政治的な情況からして、そしてぼくの現在の立場からしても、はっきりとあのシーンを描くのは不可能でした。でもあの時期を避けることは絶対に出来なかったのです。 すべてがとても静かに非暴力的に描かれる賈樟柯の『プラットホーム』。中国のもの言わぬ、しかし大多数の民衆たちの青春を見事に描いた秀作である。 |
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<『プラットホーム』あらすじ>
山西省の小都市・汾陽(フェンヤン)で、歌や踊りで毛沢東思想の啓蒙に努めてきた文芸団の若き男女4人の青春と挫折を描く。79年に導入された改革開放政策で団は民間に売り出され、以前は低俗なものとされていたポップスやロックなど外来物を取り入れながら各地を巡業するうちに、夢に溢れていたメンバーたちは社会の現実の重さに直面する。そうして街を飛び出す者、堅い仕事に落ち着く者、商売の世界に転進する者と、仲間たちは別々の道を歩み始める…
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